豊かな人生とは、どのような人生だろうか。
吾輩は、豊かさとは「社会的な豊かさ」「内なる豊かさ」の2つの要素で構成されると考えている。
社会的な豊かさとは、人とのつながりの密度の度合であり、家族や友人との良好な関係が築けていることを示す。
内なる豊かさとは、「どれだけ余裕があるか」である。この余裕とは、金銭的、時間的、社会的立ち位置等の、自身を取り巻く環境の土台の安定性のことを示す。
社会的な豊かさについては、言うまでもなく極めて重要であり、これまでも、これからも、その重要性は永久に不変であると考える。故に、以降では社会的豊かさは、常に満たされているという前提で話す。
人によっては、豊かな人生は上記の「社会的豊かさ」が全てである人という人もいるかもしれないが、そういう方はこのページを読む必要はないと思う。
内なる豊かさについては、吾輩は、上記の認識を正さねばならないと、最近よく思うようになった。
というのも、これまでは金銭的・時間的・社会的地位が手に入るまでは、これらを満たすことが自分を豊かにしてくれると考えてたものの、いざそれらが手に入った時(ある程度であるが)、思いのほか豊かになったという実感を得られなかったためである。
では、これまで考えてきた「内なる豊かさ」は何故、実感する豊かさとの乖離があったか考えなければならない。以降は、自分を満たすための「内なる豊かさ」のみに焦点を当てていく。
吾輩は、「内なる豊かさ」を環境の安定性で考えていたことが問題であると考えた。環境の安定性は、裏を返せば「生きるための困難の少なさ」ともいえる。
無限のお金、無限の自由時間があり、地主であるとする。そのような状況で、生きるための困難が全くない人生を過ごせるとすると、豊かな人生を送ることができるかという問いに対する答えは、必ずしもYESではない(豊かである確率は高いだろうが)。
上記の例えの中から、豊かさの本質について考えてみた。
人生というものは、1日1日の積み重ねによって形成されていく。イメージとしては、人生は大きな塊ではなく、「1日」という粒子の集合体のようなものだとみなすことができる。簡単に言えば、マクロではなく、ミクロの集合体であるということである。下図の右のイラストを例にすると、1日を過ごすと、粒子が1つずつ増えて大きくなっていくイメージである。

この観点から考えると、豊かさとは新たな1日が豊かであること、といえる。豊かな1日が積み重なり、豊かな人生になるということである。
豊かな1日とは何か?
吾輩は「今日はいい1日だったな~」と思える、充足感・満足感のある1日であると考えた。つまり、当人がその1日に対してどのように感じたかという感覚が、豊かな1日を形成するということである。
ここまでの流れをまとめると、豊かな人生とは、豊かな1日の集合体であり、豊かな1日というのは、当人の感覚によって決定される、ということである。さらに簡単にいえば、豊かさの本質とは、その人の中にある感覚そのものであるといえる。些細なことに対し、幸福を感じるのであれば、その人は幸福な人生を送ることができると思う。
金銭的・時間的・社会的地位がある程度ある状態であっても、吾輩が1日を豊かに、満足に感じなかった要因は、それらが吾輩の感覚までに影響を与えなかったためだと考えられる。